医師主導治験においては、GCP第15条の9で、被験者に対する補償措置について、「あらかじめ、治験に係る被験者に生じた健康被害の補償のために、保険その他の必要な措置を講じておかなければならない。」と規定されています。
ただ、被験者補償の措置として、「治験保険に加入する」のみで良いのか、また、「その他の必要な措置」にはどんなことが含まれるのかと疑問も出てきます。
また、治験保険に限らず、保険の約款に書かれた細かい規定を読みこなすのは、非常に厄介な作業であることは、否定できません。
残念ながら、治験中の被験者に予期せぬことが起こり、保険適応となった場合、どのような手順を踏むべきか、不透明な部分もあります。
そこで、今回は医師主導治験を始めるにあたり、被験者補償について、治験保険を含めて全般的にまとめました。
それにより、治験保険加入の検討の段階から、実際の加入方法並びに、保険適応と言った、一般的知識を得ることが可能です。また、事象が発生してから、保険金請求まで、どのような手順を踏むべきか、医師主導治験の被験者補償で対応するべき点についても具体的に提示しています。
最後には、被験者補償の措置に関する手順書作成のポイントについても、わかりやすく解説しています。手順書作成中の方、もしくは、これから作成する予定のある方は、記載内容の検討に役立つのではないでしょうか。
実際にイベントが起こった場合に、慌てなくて済むよう、リスクマネジメントの一環として心得ていただけたら幸いです。また、これから治験を始める方にとっても、治験中の方にとっても、治験保険について、有益な情報を網羅しましたので、最後までお読みください。
治験に関する参考図書を準備しておくとよりスムーズです。
医師主導治験に関する、保険の種類と適応
GCPにおいては、医師主導治験における治験保険への加入を義務としていません。その代わり、被験者の補償の措置を講じておかなければならないとしており、その手順を設定する必要があります。
医師主導治験の準備段階で、被験者補償の措置についても、調整医師を代表として検討しておくことが必須です。
医師主導治験における、被験者補償の措置について検討する
医師主導治験における、被験者の補償の種類には、以下の3つが存在します。
- 医療手当:入院または通院必要とする際に支払われる給付金(非課税)
- 医療費:健康保険等からの給付を除く、被験者の自己負担分(1〜3割)
- 補償金:障害等級が1〜3級の場合並びに死亡時に支払われる保険金
治験保険に加入する必要のないケースとしては、上記の3つを十分にカバーできることが条件になります。
例えば、治験実施医療機関の補償規定等に基づいて、医療が提供されたり、医療機関独自に補償などが用意できる場合です。
ですから、院内の事務担当の方に確認し、院内のみで可能な補償範囲について、事前に明確にしておきましょう。また、「医療手当」と「医療費」については、通常、治験保険ではカバーされないため、治験保険の加入を検討する材料にもなります。
特に、IRB初回申請前までに、保険加入について検討しておく必要があります。
なぜなら、IRBにおける審議資料に、詳細を記載しておく必要があるからです。
それらは、以下3つの書類が該当します。
- 被験者補償の概要に関する書類
- 同意説明文書
- 被験者の健康被害補償に関する手順書
医師主導治験に関係する保険の種類を理解する
医師主導治験に関係する保険については、以下の4つが該当します。
- 病院賠償(責任)保険:病院毎に加入している保険
- 医師賠償(責任)保険:医師個人が加入している保険
- 医師主導治験保険:治験期間中に、医療行為以外が原因の際に適応となる保険
- PL保険:製薬・医療機器メーカーによる、自社製品の欠陥に起因する賠償事故への備えのための保険
これら4つの保険の使い分けについては、保険会社から提示されている、以下の図をご覧ください。
被験者に健康被害が発生した場合、原因を調査し、SAE(重篤な副作用)報告書などが作成されます。その際に、医師主導治験と被験者の健康被害の間に、「因果関係」がなかったと判断された場合は、補償責任・賠償責任が生じることはなく、単なる偶発事象となります。
例えば、被験者が他科の通院時に交通事故にあったような場合は、治験との因果関係は否定されます。
因果関係があるかまたは、否定できない場合、次に確認する事項は、「過失があるか」どうかです。過失とは、事実を認識・予見することが可能だったのに、その注意を怠った場合のことを言います。
過失がないと判断された場合は、医師主導治験保険の中でも、補償責任条項に該当します。
一方で、過失があると判断された場合でも、医療行為が原因の場合は、医師賠償責任保険または、病院賠償責任保険に該当します。また、医療行為以外が原因の場合は、医師主導治験保険の中の、賠償責任条項に該当します。
ここで、医師主導治験保険に出てきた、「賠償責任条項」と「補償責任条項」について、触れます。
- 賠償責任条項:法律上の賠償責任に対応する保険
- 補償責任条項:GCP省令に基づく補償責任に対応する保険
ポイントは、医療行為に基づくものなのか、あるいは治験計画に基づくものなのかを判断する必要があるということです。繰り返しますが、医療行為に基づく場合であれば、医師賠償責任保険または、病院賠償責任保険の適応に該当します。医療行為に基づかないと判断される場合は、医師主導治験保険の適応に該当します。
治験に携わる医療機関や医師は、医師賠償責任保険加入が必須です。
理由は、医療行為に起因する被験者の健康被害に対しては、医師賠償責任保険が存在しているため、あえて、医師主導治験保険では、保険適応外としているからです。
医師主導治験における保険概要を知る
医師主導保険における保険概要については、上述した通りで、「賠償責任条項」と「補償責任条項」があります。この二つの違いと、保険概要について、各々ご紹介します。
どういった行為に対して、保険金が支払われるか理解いただけるでしょう。
過失があり(違法性あり)、被験者に与えた損害に対して、賠償を行う民法等の法律による責任がある
保険金支払い対象となる損害内容としては、以下の3点が主なものになります。
- 損害賠償金(治療費、休業損失。慰謝料、葬儀費用など)
- 争訟費用(訴訟費用、弁護士費用など)
- 応急手当緊急処置に要する費用など
一般的には、身体賠償のみで、支払い限度額は1名あたり、1億円、1事故・1治験あたり3億円で、免責金額(事故負担額)はありません。(株式会社カイトー 医師主導治験保険の概要を参照)
過失がなく(違法性なし)、副作用等、因果関係はあるが賠償責任は発生しない健康被害に対する補償を行う責任がある
補償内容としては、以下の2点です。
- 死亡補償保険金
- 後遺障害補償保険金
被験者への3つの補償(医療手当・医療費・補償金)のうち、医師主導治験においては、「補償金」のみが支払い対象となります。
後遺障害補償保険金については、被験者が加入している、国民年金または厚生年金の障害等級(1〜3級)と健康被害発生時の被験者の年齢から、保険金支払い額が算出されます。免責金額はありません。
例えば、50歳男性の被験者が治験薬の副作用により、健康被害が発生し、3等級の障害を負ったとします。この場合は、2,400万円の保険金が治験保険より被験者へ支払われます。*一例を挙げておりますため、随時金額は変更する旨ご了承ください。
このように、医師主導治験における被験者補償の措置を具体的に理解していることで、いざ事象が発生した時には、慌てなくて済みます。
医師主導治験のための保険会社の種類と選び方のコツ
ここからは、医師主導治験のための、保険会社の種類と選び方のコツについて、ご紹介します。
国立大学病院には、「国大協サービス」という、国立大学の法人化に際し、国大協により開発された保険商品がありますので、国大協を経由して加入します。
それ以外の病院は、通常、以下の3社から選びます。それぞれ特徴がありますので、実施する治験に応じて、検討することを推奨します。
- 損害保険ジャパン日本興亜株式会社(以下、「損保ジャパン日本興亜」と言います)
- 東京海上日動火災保険株式会社(以下、「東京海上日動」と言います)
- 三井住友海上火災保険株式会社(以下、「三井住友海上」と言います)
保険会社を選定するコツとしては、その治験の代表者(単施設であれば、治験責任医師、多施設であれば、治験調整医師またはメインとなる医療施設)が勤めている病院が加入している、病院賠償保険と同じ会社を選ぶことです。万が一、事故が発生した場合に、同じ保険会社であれば、協議にかかる時間も短縮され、スムーズな対応を期待できるからです。
例えば、病院賠償保険が東京海上日動で、医師賠償責任保険が三井住友海上に加入している場合、治験保険は、東京海上日動を選択すると良いでしょう。
実際に、治験保険で賄えない保険金については、医師個人というより、病院賠償保険で賄うケースが多いからです。
保険契約者は、治験調整医師または所属医療機関長(それに代わる者を含む)であるのが一般的です。
健康被害に対する補償の範囲、補償額、契約者となれるものの範囲、契約形態、保険料などを確認しておきましょう。
企業治験と医師主導治験の保険の違い
企業治験においては「医療費」や「医療手当」の補償が行われているのに対して、医師主導治験では、「医療費」や「医療手当」の補償が行われません。
理由は、「医療費」や「医療手当」をあえて保険商品に組み込んでいないからです。これを組み込むことにより、医師主導治験保険の保険料が、現在より、大幅に高くなることが考えられます。
同じGCP省令の元で実施される治験であるにも関わらず、被験者の補償措置に格差が生じているというのが実情です。
これらの補償を行う場合には、治験責任医師または治験調整医師は、補償額について保険以外の財源を確保する必要があります。
その理由に、治験促進センターで実施される、治験推進研究事業での医師主導治験でも、公的研究費で医療費などの補償を支弁することは不可であると厚労省からの説明がありました。
多施設共同試験の場合に、施設間格差が生じるのは好ましくありませんので、可能であれば治験全体としての対応を事前に考えておくことを推奨します。
2015年に医薬品企業法務研究会(以下、「医法研」という)が作成した、「被験者の健康被害補償に関するガイドライン」が普及しているところですが、医師主導治験においては、この補償ガイドラインはほとんど普及していません。
理由は、医法研補償のガイドラインはあくまで製薬会社の治験を対象としたもので、医師主導治験を直接対象としたガイドラインではないこと、この補償ガイドラインを基準とすると、医師主導治験の補償財源である医師主導治験保険の保険料が、現在より高くなることにあります。(株式会社カイトー 医師主導治験保険の概要を参考)
医師主導治験と企業治験の他の違いについては、「「医師主導治験」と「企業治験」の違い 6つのポイントを抑える」の記事
医師主導治験における症例固定と被験者に保険金が支払われる過程
医師主導治験における、症例固定と被験者に保険金額支払われる具体的な流れをご紹介します。
医師主導治験の補償における、症例固定とは
医師主導治験の補償でいう、症例固定とは、被験者の健康被害発生後、適切な医療の提供で、治験責任医師が判断する最終的な有害事象の転帰のこと。
症例固定の時期については、最終的に判断する、治験責任医師に委ねられています。それには、医師主導治験の実施体制で、外部の専門家が含まれた効果安全性委員会などで、被験者に発生した健康被害について、協議された内容も含まれます。
被験者に健康被害が発生してから、保険金が支払われる過程
保険金額支払われる時期については、症例が固定してから、およそ1ヶ月程度で、保険会社から被験者へ保険金が支払われます。
健康被害が発生しても、提供された医療で、症状が改善すると、障害等級の1〜3級に該当しなくなり、保険金の支払いはありません。
例えば、治験薬により、後遺障害が残ったが、適切な医療の提供により、自立した生活を送ることが可能となり、障害等級の1〜3級に該当しなくなったというケースです。
一般的に、治験保険では、健康被害に対する補償責任に関しては、死亡と後遺障害に対してのみ保険金が支払われます。そこまで至らない治療等への対応をどのようにするのかを事前に決めておく必要があります。
医師主導治験における、被験者の健康被害補償に関する確認事項とは
医師主導治験の準備段階において、準備しなければいけない資料は以下の4点です。
- 被験者補償の概要に関する書類
- 同意説明文書
- 被験者の健康被害補償に関する手順書
- (保険加入の場合)付保証明書
上記の資料を作成するために、以下の手順で、確認しておきましょう。
- 被験者補償の措置について、院内で対応できる規定の有無(医療費や医療手当の負担など)
- 治験責任医師や治験分担医師の医師賠償責任保険加入状況を確認
- 治験保険の加入の検討と保険会社の決定(加入するかどうか、どの保険会社にするか)
- 治験保険加入の場合、「付保証明書」の入手
付保証明書は、保険の申し込みをした後、保険証書が発行されるまでの間に保険会社から発行される書類です。保険加入した場合は、IRB審議資料として、「付保証明書」等、補償の内容を記載した「補償概要」の提出が求められます。
被験者に補償内容を説明するための「補償概要」は、自ら治験を実施するもの(治験調整医師または、治験責任医師)が作成します。この「補償概要」は、被験者に提供する資料でもあるため、分かりやすい表現で作成しましょう。
まとめ
治験保険加入の検討から、保険金が支払われるまでの過程をご紹介しました。
繰り返しますが、今回の医師主導治験において、被験者の健康被害補償をどのようにするか、以下の手順で検討しておきましょう。
- 被験者補償の措置について、院内で対応できる規定の有無(医療費や医療手当の負担など)
- 治験責任医師や治験分担医師は医師賠償責任保険に加入状況を確認
- 治験保険の加入の検討と保険会社の決定(加入するかどうか、どの保険会社にするか)
治験の準備段階において、被験者の健康被害補償について、関係者で事前に協議しておくと、いざ被験者への補償が必要となった時に、慌てずに対応することができるでしょう。
多施設共同で実施される治験の場合、院内で対応できる規定の内容がそれぞれ違いますので、病院毎の確認が必要になります。
治験保険と並行して、治験届書の作成についても、準備が必要になります。
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